(志朗のエロエロ物語(4))留四郎の春(その1) 《序章》:By志朗


当時の田口由蔵は、まだそれ程有名ではなかったが、パリに留学後に帰国し将来を大いに嘱望されていた、今や油の乗り切った売り出し中の52歳になる画商を兼ねた洋画家で、そして広瀬留四郎は若干21歳になったばかりの大学苦学生だった。

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広瀬留四郎は、この世に生を受けてから未だ初めての誕生日を迎えない一歳にも満たないころには、既に父親を病で失っていたのだ。

それが遠因かは不明だが、留四郎はごく幼少の頃から、年配の男性に対しては淡い憧憬にも似た感情を抱き、そして次第にそれは、むしろ恋しさにも近いものを心の奥底に秘め、そして常にそれを抱いて成長したのだった。

留四郎が未だ小学生のころ、父兄参観日などの際には、クラスメイトの多くは父親や母親が教室の後ろに並んでいたのだが、留四郎には父親は勿論、母親の姿すら見つける事はまったくなかったのだ。

留四郎の家族は、父母の他、子供は男四人、女五人と、更に先妻の男子二人の合計13人という大家族なのだった。

当時は産児制限などの手段も有ろう筈も無く、何処でもこういった大家族の家庭は散見されたし、別にそれほど珍しいことではなかったのだった。

因みに、留四郎の名前の読みは、戸籍上は「トメシロウ」と仮名が振られているが、むしろ幼少の頃は、幼友達やそのご両親などからは「リュウシロウ」という音読みから、「リュウちゃん」とも呼ばれていたのだった。しかし、成長と共に戸籍上の読み以外には全く呼ばれることは自然と無くなったのだ。

もっとも留四郎本人としては、『トメ』という発音には、いささか抵抗があったのだが、慣れるに従って、それに次第に馴染んだのだった。なお、名付けの経緯は、どうやら、後妻となった実母の願いを込めた子沢山を打ち止める意味から、そう言った名前が付けられたのかも知れないのだった。

その願いが天に届いたのかは不明だが、子沢山は留四郎でまさに「打ち止め」となったのだった。しかし、仮に父親がその後も存命だったら、更に留四郎の後にも弟妹が出来たに相違ないのだ。当時は、産児制限などの手段は、何処の家庭でも一切考慮しようも無い時代だったから、至極当たり前の自然現象でもあったのだろう。

だが、留四郎の一家では、幸か不幸か、父親が早くに亡くなったので、もう家族はそれ以上には増えなかったのだが、収入面では、歳の離れた長兄の働きによる収入だけでは、どうにも暮らしが立ち行かなくなったのだった。

当時は、現在の様な、国や自治体等からの母子家庭への援助なども全く無かったし、母親は止むを得ず、それはもう、なりふり構わず日給月給のような臨時の仕事も厭わず、更にはまた、夜は夜で、寝る時間を割いてまで、裕福な家庭から依頼された着物の下縫いなどにも精を出し、平日はおろか日曜祭日も含め、更には年末年始まで働き詰めだったのだ。

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成長してからも当時の留四郎は、学費はおろか、生活費の工面もしなければならず、それでも高校までは必死にアルバイトなどをして、どうにか卒業できたのだった。

高校在学中の留四郎は、学業成績は全校でもトップクラスだったので、卒業時には学業優秀として表彰されたのだった。

そしてまた留四郎が、母子家庭として生活しているという事情を知っていた担任教師は、留四郎が世間一般でも超難関と言われていた大学にストレートで合格した際には、入学金やら授業料など、思案している留四郎に対して、「なんとか頑張るのだぞ!」と、励ましの言葉をかけてくれたのだった。

偶々その頃、新婚の留四郎の上から二番目の兄夫婦が、それまで住んでいた棟割り長屋の売却が出来たので、Y市に小さいながらも新居を構えたのだった。

そして丁度その頃、留四郎は大学入試に現役で合格したのだった。

ところがその時、留四郎には大学入学金はおろか、前期の授業料の工面すらどうにもまったく目処が立たず、止むを得ずもう、入学辞退届を出すつもりだった。

当時は食べて行くことに精いっぱいだったので、母親に大学へは入学辞退届を出すつもりだと留四郎は言ったのだった。
すると、それを聞いた母親が、折角頑張って合格したのだから、それなら一度、留四郎のその実兄に相談して見るから辞退届を保留する様に言われたのだった。また、当時は奨学金制度など有ろうことも無く、最早絶望的な状況が迫っていたのだ。

でも、どうせ駄目だろうと思ったので、ある日のこと、大学入学をもう諦めるからと言ったところ、母親から、実兄からの返事が来るまで、もう少し待ちなさいと言われたのだ。

そしてそれから数日後の、入学手続き締め切りぎりぎりになった或る日のこと、実兄からなんとか工面して入学金だけは払ってくれるという、嬉しい「電報」が届いたのだった。

そこで、乏しい貯えの中から前期授業料は母親の貯金から工面してもらうことで、なんとか滑り込みで入学手続きは無事完了する事が出来たのだった。

しかし、入学金と授業料の前期分だけは支払ったのだが、それを収めた後の後期の受業料はもう、総て留四郎自身で工面せざるを得なかったのだ。

そして、それらも年老いた母親の僅かな稼ぎと、留四郎自身がきつい労働仕事や夜間や深夜の仕事、それに家庭教師などのアルバイトで、それこそ必死になって働いた結果、どうにか3学年までは通学出来たのだった。

だが、あと一年という時には、当時の世間一般の大不況の影響もあって、もう、どうにもこうにもう学費を納めることが不可能という事態に陥ったのだった。休学という手も有ったのだろうが、どうにもその先のめどすら皆目立てられなかったのだった。

それ故、必死になってアルバイト先を探していたのだった。だが、バイトだけでは生活費以外の受講料まではどうやっても、もはや、稼ぎようもなく追いつめられていたのだ。

折角大学に入学し3年間も必死に頑張ってきたのだが、場合によっては、もはや中退すらも考慮せざるを得なくなりそうな状況下に立ち至ったのだった。

そう言った状況下のある日のこと、留四郎は偶々大学図書館内にあった、ある日刊新聞に目を通した際、以下の広告に目が止まったのだ。

『住み込みで絵画の見習い生を募集中!』というタイトルで、しかもそこには、「衣食住すべてを支給」とも書いてあった。更に続いて、『写真同封のうえ履歴書を郵送のこと』、とも記載されていた。

其の文面を何回、いや何十回も留四郎は繰り返し読み返して見たのだった。

そして留四郎は、何はともあれ縋る思いでダメ元と思いつつ、急いでその求人募集広告のメモをノートに書き留めて、大急ぎで履歴書を郵送したのだ。

それから数日後のある日のこと、少し日数も経過していたので、留四郎はもう、ほかの誰かを採用済みで連絡が来ないのかも知れないと思って、半ば諦めていたのだった。

だが、念のため、留四郎は不安に駆られながらもメモを取っていた募集広告のその相手先へ、思い切って公衆電話で問いあわせたのだ。

数回の呼び出し音のあと、なかなか繋がらないので、留四郎は半ば諦めて電話を切ろうとしたその時だった。かなり高齢男性らしい、ややかすれた声で「もしもし、田口宅の執事で御座いますが・・」と聞こえてきたのだ。

で、慌ててすぐに留四郎は、「あ、あの~、もしもし、募集広告を拝見して履歴書を郵送した者なのですが・・」と留四郎の姓名を名乗って応募の件につき尋ねたのだ。

すると「お電話代わりますので、少々お待ち下さいませ」
と言うソフトで丁寧な返事があった。

間もなくして、今度は当主と思しき張りのある中年男性の声に代わって、
「あ、もしもし、あなたの履歴書を拝見して、面接日の通知書を郵送してありますよ」
とのことだったので、
「いえ、まだ何も届いていないものでしたので、本日お電話を差し上げたので御座います」
と、留四郎は伝えたのだった。

結論的には、当時は郵便物の遅配とかもしばしばあったので、面接日の通知が遅れていたらしいのだった。

そして、そのあと、
「応募者の方が多かったのだが、採用者の決定はまだしていないので、応募されたいのなら、いちど直接此方へお出でください」

そして、更に続けて
「あ、そうだ、もしよかったら今日はちょうど都合がいいので、此方へお出でになりますか?」
という、渋い熟年男性らしい声が聞こえてきたのだ。

その思いもよらない言葉を聞いた次の一瞬、間に合ってよかった!と、その時はまさに飛びあがらんばかりに嬉しく思った留四郎なのだった。

「あ、ハ、ハイ、そ、それでは、本日これから早速お伺い致しますので、どうぞ宜しくお願いいたします」
と言うのがやっとだった。

すると、先方は更に続いて、
「あ、それなら本日午後3時頃なら都合がいいので、門扉の鍵は開けて置きますから・・」という声が聞こえてきたのだ。

で、何はともあれ、他には何のバイト先も見つからないので、それこそ縋る様な気持ちで留四郎は、その指定された時間にその場所に早速出掛けたのだった。

指定されたその町名と番地をようやっと探し当てて、そのときふと、大きな石造りの門柱にある表札を見ると、黒っぽい御影石に「田口」という文字が刻まれていたのだった。

そう言えば、広告の文章の最後に其の文字は記載されていたので、間違いなく此処がその指定された建物なのだと、改めて驚きと共に納得のいった留四郎なのだった。

しかし、それにしても面接場所としては一般的な事務所などではなく、それは途轍もなく大きな門構えの、それはまさに豪邸というか、いや超豪邸とでも言った方が正しいと言える程の、それは立派な大邸宅なのには、いささか留四郎は驚かされたのだった。

そして、ここからいよいよあの童話の世界の「白雪姫」物語を、一瞬思い起こさせられるような本題に入ることになろうとは、神のみぞ知るという現実が待ち構えていたのだった。
つづく

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( 志朗さんの了解を得て(ゲイの老け専出会い)「お爺さんの玉袋」に掲載されたものを転載させて頂いています。但し、原作には多くの写真が掲載されていますが、公開を控えた方が良いと判断し、転載しませんでした。)

・「志朗のエロエロ話(By志朗)」に戻る。

・留四郎の春(その2):乞うご期待。

*「お仲間の作品・投稿」に戻る。

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