上野新平シリーズ(第70話):海釣り公園のお爺ちゃん(6) By源次郎


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「上野さんか。」

金曜日の朝、慌ただしく作業段取りを指示しているとき携帯に田川お爺ちゃんから電話が入った。

いつも、大声で『新平』と、呼び捨てで言って来ていた田川お爺ちゃんが、小声でそれもサン付けでよんでくるとは何だろう。

「はい、上野ですが。朝早くから何か有りましたか。」

最初に考えたのは、明日のクルージングの約束の事とは思ったが、どうしたのかと不安になって事務室から廊下に出て来た。

「うん、不味いことになった。すまんが、クルージングは取り止めにしてくれ、楽しみにしていたのだが申し訳ない。」

「私の方は結構ですが、何があったのですか。取り止めって無期限の延期ですか。それとも今後も無いって事ですか。」

「うん、残念だが暫らく出られなくなった。また夜にでも電話する。」

田川お爺ちゃんは、新平の質問には満足な答えをしないで、慌てた風に電話を一方的に切ってしまった。

電話の声には、後ろの方で、病院の待合室のようなアナウンスする声が聞こえていたようだ。

お爺ちゃんが入院したのかな。あの逞しい筋肉で、病気の気配など微塵も感じなかった日焼けした身体だった筈だが。

口は悪いが、男気があって一本気で、それでいて優しく、又涙もろく、人のことには必要以上に気を使う優しい田川のお爺ちゃんがドタキャンするって事は、尋常では無い。

奥さんのご両親のどちらかにご不幸でもあったのだろうか。

上野新平は一日中そうしたことを考えていた。

田川萬蔵(75)は、昨日の午後、海釣り公園でのパートを終えてバスで帰宅中に携帯電話を受信した。

それは、岬の駐在所からであったが『帰宅は何時頃だ』との話しだけで、用件も言わずに切られたので、ホテル建設での土地の売買に関係したことだろうと安易に考えていた。

「兄ちゃん、こう乗客が少なかったら張り合いが無いだろ。」

田川萬蔵だけの一人しか乗客を乗せていない顔馴染みのバスの運転手に声を掛けた。

「正直張り合いってのは無いかもしれませんね、関係無い事ですが、少数の方だけにでも待たれていますから、赤字路線であっても会社としては打ち切りたいでしょうが、そんなコトは出来ませんでしょうね。」

「そうだよな、精々、病院に行く年寄り達だけだろうからな。」

「ええ、若い人を見かけなくなりました。皆さんマイカーですから。それに僅かな学生さんもバイクで通学していますから。」

「だんだん淋しくなるんだよな。」

「しかし、岬のホテルが軌道に乗ったら従業員も増えて期待できそうですから、楽しみですよ。」

「ああ、岬のホテルも、繁盛してくれたら港の集落も少しは賑やかになるだろうな。従業員宿舎なども出来るらしいから、知り合いがコンビニを開く準備しているのもいるようだ。」

「ああ、コンビニが出来たら良いですね。いまは、雑貨屋が何軒かあるくらいで食堂も無いですからね。」

「うん、そうだな。」

「それでも、私の父が住んでいる中国のシルクロード路の一つのルートですが、天山山脈の北側に作られた天山北路の近くと比べたら天国ですよ。観光施設は整備されていますが、そこに住む人達は、もっと不便な生活しています。」

「ほう、兄さんは中国人でしたか、懐かしいなぁ。それに日本語も上手いな。」

「おじさんは、中国に住んでいたのですか。私が育った所は天山北路よりもまだ北に位置しますカザフスタンとモンゴル国に挟まれた中国の最北西端のアルタイ山脈の麓に開発された風光明媚な自然保護区の「カナス」と云う所です。でも生活は厳しいところです。」

運転手は、田川萬蔵が『懐かしい』と言ったので、一気に自分も故郷を思い出したのだろうか、雄弁に喋り出した。

「そうだったのか、お父さんは元気でいるのか。」

「はい、観光施設の食堂で働いています。」

「それは良かった、俺は住んでいた訳じゃないけど1,2カ月くらい居たことがある。中国も広いからな。なんと言ったかな、東シナ海に面した綺麗なところだったがな、やっぱり貧しい村だったな。」

駐在所の警察官が詳しい内容も伝えなかったので、呑気にバスの運転手と世間話をしながら帰宅した。

「おお、帰ったか。駐在所に寄ってくれるかと待って居たんだぞ。」

「お前、そんなこと言わなかっただろう。何時に帰るかって聞いて、すぐ帰ると言ったら電話切ってしまったんだぞ。」

「うん、慌てさせても悪いからな。」

田川萬蔵が帰宅して着替えをして居る所に駐在が、ノコノコ上がりこんできて勝手にポットの湯を急須に入れて食卓で飲みだした。

「お、良い茶の葉使っているんだな。」

「そんなことより、俺に用事って何だったのだ。」

「うん、それだがな、ゆっくり聞いてくれ。」

「なんだ、勿体ぶって無いで早く言えよ。」

「それがな、先程あんたの奥さんが島からK市の国立病院に自衛隊のヘリで運ばれた。」

「なんだって、ヘリで運ばれたって、どうして早く言わないんだ。」

「だから、慌てるなって言っているだろ。」

「慌てるなって言っても、怪我か、それとも事故か。」

「それがな、ワシも様子が良く判らないんだ。どっちにしてもK市までの交通手段が無いから、前原の息子が帰宅するから、お前を連れて行ってくれることになっている。」

「前原の息子は、オヤジがK市に入院しているので今朝見舞いに行くって言っていたぞ。」

「それで、一旦戻って来て、お前を連れていってやるんだそうだ。」

「それは判った、それで内の婆さんはどうなっているんだ。」

「島の駐在の話だけだが、様子だと脳梗塞らしい。」

「脳梗塞って、それで意識はあるのか。」

「だから、お前が病院に行って確認しないと判らないだろ、同じこと言わせるな。」

「駐在も、人のことだと思って呑気だな。」

「そう言われても仕方無いが、それ以上は申し訳無いが判らないんだ。」

「ああ、わかった、しかし島には婆さんの両親が寝たっきりなんだぞ。」

「ああ、そうらしいな。それは駐在が頼んで近所の誰だったかが見てやってるそうだから心配ない。」

駐在の相手をしていても様子が判らない。

取り敢えず病院に電話をし、夫だと言っても「個人情報保護法」で、入院しているかどうか、まして病状なども電話ではお知らせ出来ないと断わられてしまった。

どうなっているんだこの『美しい日本』とか言う国は。

それに「個人情報保護法」って、生活を不便にさせるための法律だったのか。

接待ゴルフなどで、防衛予算の水増し請求を黙認したりしている先生達始め、あいつらってのは庶民の不便な生活など見えないのだろう。

これこそ、『日本を、どげんかせんばいかん』

夜になって前原の息子の車で病院に来ることが出来たが、まだ意識が無く集中治療室のガラス窓から覗いて見られるだけだった。

田川萬蔵は、薄暗い病院の待合室で椅子に寝っ転がって、今夜が峠だと言われた、妻の快復を祈る気持ちで待っていた。

昼間のバスの運転手が中国人だと聞かされ、忘れかけていた忌まわしい中国での中央共栄党の取調べを思い出していた。

あれは40年前、田川萬蔵が35歳の時だった。

東シナ海で漁をしていた時、台風接近で近くの港に避難する途中、漁船が転覆し殆ど全員が海に投げ出された。

流木や浮き輪に掴まって仲間の名前を呼び合い励ましあっていたが、いつしかそれも聞こえなくなってしまった。

田川萬蔵が、気が付いたのは、後で聞かされて判ったのだが海に投げ出されて3日目の明け方だった。

寒さと息苦しさを意識し目を開けて天井を仰いだ。

霞んでいた目の前が段々と目が慣れてきて周囲の状況が判りだした。

狭い小屋で天井も無く屋根裏が直接剥き出し、くすんだ梁が見えている薄暗い部屋だ。

身体を起こそうとしたが動かされない。

裸で寝せられた田川の横に添い寝するようにして、同じように裸で、両手で田川の身体を抱き締め身体をピッタリくっ付けている老人が居た。

ちょっと横向きになったとき、その老人が田川の意識が戻ったのに気付き、顔中髭だらけで前歯が欠けた口を大きく開けて何やら喚いている。

良く聞いていると、意識が戻ったことを喜んでいるようで、満面の笑顔で田川に抱きついてくる。

どうやら中華人民共和国(中国)の何処かの浜に打ち上げられ、此の老人に助けられたのだろうと漠然と判り出してきた。

老人は布団から抜け出し、仙人が着ているような長いボロボロのマントのような服を身にまとい食事を作り出した。

歳は80くらいだろうか、もっと老けているのかもしれない。顔は老人独特の痣のようなものがみられる。

食事と言っても、最初の何回かは、米粒が少ないドロドロの粥にも程遠い水だけのようなものだった。

薬のような、漢方の薬草の匂いもした。

身体も大分快復を見せ始め布団の中で起き上がり座れるようになって来たが、まだ自分で立ち上がることは体力も無く、それに眩暈がして出来なかった。

夜は、布団が一枚しか無いせいでもあったのだろうが、相変わらず互いに素っ裸で抱き合って寝る。

痩せた老人だったが、裸で抱き合っていると汗ばむほどの温かさだ。

老人は決まった仕事も収入も無く、浜の岩場に打ち揚げられる魚や、木切れを纏めて薪として近くの市場の横の路地に座り込んで、それら売って生活費を稼いでいたようだ。

人間が生きていくためのギリギリの生活だったようだ。

家族や親族も居なく、近所の人との係わりも無さそうに思われた。

老人は、魚や、貰ってきた豚の内臓を洗って野菜や薬草を入れた粥に混ぜて食べさせてくれていた。

また、庭で飼っていた鶏も絞めて、何日にも分け、その全てを食べさせてくれた。

田川が意識を取り戻して一週間位したある朝、思わぬ身体の変化に戸惑ってしまう。

排尿や排便の世話も、黙々と優しくしてくれていた。

排尿は、何処かで拾ってきたらしい、欠けたどんぶり椀に取ってくれたし、排便は、家の外に穴を掘ってあって、そこまで背負ってもらったり、肩に掴まって連れて行ってもらっていた。

この老人は自分の為に神か仏が、この世に送ってくれているのではないかとも思い感謝でいっぱいだった。

今まで何の意識も無しで、老人の股間を見たり、萎れたチンポを肌に着けてくるのを知っていたが、今朝、明け方の鶏の声を聞いていて自分のチンポが膨らんでいるのがわかった。

小便したかったこともあったが、こうした勃起することさえ忘れていたときだった。

それだけ、毎日を生きるということにのみにしか、意識がなかった。

もじもじしている田川に気付いた老人が、小便したがっていると察して起き上がり布団を剥いで始めて田川のチンポの勃起に気が付いた。

これまで、二人は会話らしい会話をしていなかった。当然お互いの言葉が判らなかったからだ。

一方的に喋ってはいたが、排尿、排便の要求以外は殆ど通じ合う事は無かった。

なにやら大声で喚き、立ち上がって拍手しながら大笑いしている。

仕草からして、衰弱していた身体が元気を取り戻したとの象徴を目にして喜んでいるようだ。

田川にも生きているんだとの、しっかりした自覚を感じて涙を流して喜んだ。

老人は、いそいそと、どんぶり椀を持って来て田川のチンポを摘まんで、何時ものように小便が飛び跳ねないように手を被せてくれた。

小便をしながら老人の顔を見ると、涙を流してくれている。田川以上に自分のことのように喜んでくれている。

小便が済んで、老人に手伝ってもらい、布団の上で立ち上がってみた。

今までは、老人の身体に支えてもらっていないと立っておれなかったが、手を離しても倒れることはなかった。

その場で老人に抱きついて、何度も何度も『有難う』を繰り返し言った。

老人も一緒に喜んで田川の身体に抱き付いて、かたことの日本語で「有難う、有難う」といってくれる。

目の前の白髪混じりの髭面を引き寄せ、唇を付けた。老人も、それに答えて遠慮深げに舌で田川の唇を舐めに来る。

溜まらず老人の口を舌で抉じ開けて、舌を舐めにいく。

『ああ、これは神様とのキッスの味だ』

田川萬蔵は、こうした行動が自然に出来ていた。

また有り難くって何時までも離したくなかった。老人も、積極的に答えてくれ舌の裏側までも舐め回し吸ってくれた。

そのディープキッスしている間に、萎んでいた田川のチンポが又しても勃起し始めている。

田川のチンポが、老人の腰の辺りに上向きでゴツゴツとあたっている。

それに気付いた老人が、唇を付けたままで、片手でソット握ってきた。

「あっ!」小さく声を出してしまった。

老人は、ゆっくり、ゆっくり優しく扱き出してくる。

何だろう、この感触は。初めての経験の様でも有るが、懐かしい昔にも味わったようでもあった。

先走りの汁も出だしたのだろう、卑猥な音が老人の手の中から聞こえてくる。

『何と気持ちの良い事なのだ。たしか、こんなこと感じたことがあった気がするが…』

田川も、老人の股間を弄り、今まで何んとも思わなかったしょぼくれた老人のチンポを握り、心なしか膨らみだしたチンポを握り返していた。

その時は、暫らく抱き合って握って扱いてもらっていたが、体力がまだ完全復帰したわけではなかったので勃起したチンポも萎んでしまい老人の方から離れていった。

何か言っていたが、多分『もっと元気を快復してからにしよう』といったのだろう。田川も、疲れを感じて、その場に座り込んで横になった。

優しく、布団を掛けてやり、粥を食べさせてくれた後、老人は魚か流木を拾いに出掛けて行った。

その夜も老人は、何時ものように素っ裸で田川を抱き締めて寝てくれたが、朝のことは忘れたかのようにチンポを握っては来なかった。

二人の間に、何時しか『愛』が目覚めてきた。

それは、老人が浜辺に打ち上げられて虫の息状態の田川を、此の部屋に背負って連れて来た時から始まっていたのかもしれない。

半月ほど過ぎた満月の夜だった。老人に小屋の外に連れられて来て、大きく明るく照らしている真ん丸い月を眺めている時、どちらからとも無く抱き合い唇を付けにいっていた。

それは、いままでに感じたことの無い甘く切ない、とろけるような口付けだった。

田川は、感謝を込めて老人の口の中を舐めまわし、それだけで身体を反らせて善がるのも構わず、股間に手を伸ばしてチンポを扱き、気が付いたときは口に意含んで尺八していた。

老人のチンポは目を疑うくらいに硬く上向きに反り上がり、剥け切った竿の頭もプルーンのように赤く熟れ、パックリ開いた鈴口からは先走りさえ流していた。

その塩辛い、小便の味にも似た先走りを竿全体に延ばし、ゆっくり扱いてやった。

老人が、田川の頭を払い除けようとしたのは射精が近いことを知らせるためだったのだろう。

それでも、田川は口と手で扱き、空いた手に唾液を付けて老人のアナルに中指を入れて直腸を掻き回した。

うなり声のような、人間の声とは思えない動物の声にも似た雄叫びを上げて、老人は田川の口に青臭いドロドロの精液を噴出して果てた。

その夜の田川は、尺八してもらい、老人の口の中に何度も何度も射精してから眠りに就いた。

翌日も、その次の日も、田川は貪欲なまでに老人を抱き、くたくたになるまで何度も老人の身体を愛した。

あるときからアナルを責め、恍惚状態の老人の顔を叩き目を覚まさせて執拗にまた貪欲に身体を求め忘れていた快楽を思いっきり楽しんで行った。

老人も、田川の要求には従順に愛してくれ、また田川を満足させてくれた。

(12)

そうした楽しい快楽にのめりこんだ毎日を送っていた。

ある朝早く、田川の体力が完全に快復したのを知った老人が浜に行くのを誘ってくれた。

その前の夜は、今までとは一段と違った激しい絡みであった。

田川の方が先に根をあげる程の老人の激しくまたしつっこい求めだった。

田川も毎日、朝老人を見送り暗くなってから帰って来るのを待っている生活に退屈し始めていたので、老人の誘いに喜んで手伝いをしに浜辺に行った。

誘われて初めて目にした朝の浜の岩場は宝の山だ、老人は打ち上げられた魚を拾い上げ背負い籠に入れている。

田川は、久し振りに見るキラキラ光る青い海に身体の底からムズムズするものが這い上がってくるのを感じた。

岩場に打ち上げられ弓のように身体を反らせて尾鰭で砂浜を叩いている魚を見て田川は気が付いたときから頭の置く不覚にあるモヤモヤした霧のようなものがあったが、それが晴れていく感じを受けた。

これまでも、夢の中で、港や集落、学校の教室だったり、パンツ一枚で頭に鉢巻きして走り回っているのを見ていたが、それが何であるのか判らなかった。

拾い上げた魚が手の中で暴れまわるのを両手で押さえ込み、その動きを感じ取っているとき体中に電気のようなものが走るのを感じた。

「お、魚が跳ねている。」

その一言を口にした時、自分が日本人であること、また船乗りであること、台風で漁船が転覆して海に投げ出されたことを思い出していた。

田川萬蔵は、その砂浜に座り込んで嗚咽した。

自分は生きていたんだ。あの夢の中に出て来たのは故郷の港や山だったのだ。それに小学校の教室と運動会の様子だったのだ。

砂浜に大の字になって空を仰ぎ、自分は生きているのだ、ここに居るのは、まぎれも無く田川萬蔵なのだ。

自分の存在を確認するためにでもあったのだろうか、『生きている』と思うと故郷の景色や、船乗り仲間のことを思い出し、止め処も無く溢れる出る涙を拭うことも無く大声で泣き喚いた。

何時間そうしていただろう。先程まで近くで魚を拾っていた老人の姿が見当たらない。市場近くの路地に売りに行ったのだろう。

田川は、先に小屋に戻って老人の帰りを待った。

しかし、あの日以来、老人は、この小屋に帰って来ることは無かった。

三日ほどして、老人が蓄えていた米も野菜も無くなり途方に暮れていた時、小屋の入り口に、田川が助けられていたときに身に着けていた洋服が綺麗に洗濯されて、たたまれて有るのに気付いた。

それまでは、モッコふんどしのような物と、薄汚れたランニングシャツを着せられていた。

老人は、田川が完全に記憶を取り戻したのを知って姿を消したのだろう。しかし何故そうしなければならなかったのだろう。

今日一日待って、老人が帰らなかったら小屋を出て日本に帰る手立てを考えようと布団に横になっていた。

その内眠ってしまい、小屋の表で騒がしい声に目が醒めた。

誰が来たのだろうかと布団の上に起き上がった時、制服を着ている軍人か警察官だったかの男達数人が土足で入り込んで来て手錠を掛けられてしまった。

何か喚いているが内容がわからない。

トラックに載せられ十数時間ほど走って、ちょっと賑やかな車の音や人間が喋っているのが聞こえ出した所を通っていた。街に入ったのだろう。

そこから又暫らく走ってトラックから降ろされた。

アイマスクで目隠しされていたので、先程まで居た小屋からどの方向に走って来たのかも判らない。

寒々した部屋に通され、素っ裸で身体検査が始まった。

それから二日間、たいした食事も無く下剤を飲まされ、挙句の果てに直腸までもガラスの棒状な物でかき回され屈辱にも似た検査をされた。

こうしたことは、以前船乗り仲間から、密入国者等を捕まえたときにされるらしいと聞いたことがあった。

三日目の朝、片言の日本語を喋る通訳を交えて取調べを受けたが、全く通じた雰囲気では無かった。

夜になって留置室に連れて行かれようとした時、後ろで通訳が「死刑ですね」と他の取調官と会話しているのが聞こえたような気がした。

「どうしてだ」声をだして聞きなおしたかったが、足がブルブル震えて声が出せない。

廊下を引きずられるようにして、ここに来た時から入っていた鉄格子の部屋に入れられた。

冷たい留置室のベットに崩れ落ちるように倒れ込んだ。

小さな裸電球が天井から下げられ、それが風に揺れていた。そう言えば老人と生活していた小屋には電灯すら無かったのだ。

時々、老人は片言の日本語で喋っていたが、それはあの老人が、日本の軍隊と生活していた経験があったのだろう。

朝目が醒めると「起床」と言っていたが、あれは「おはよう」のつもりだったのだろう。

また出かけるときは「さようなら」と言っていたし、帰って来た時は「こんにちわ」って言っていた。

あれも「行って来ます」と「ただいま」だったのだろう。田川も面白くなって老人に合わせて「起床」とか「さようなら」と答えていた。

何日目だったか起き上がれるようになった時、水が欲しくって這ったままで水瓶(みずがめ)の所まで行き、釜の下の灰の中に燃えた紙に薄っすらと『乱数表』みたいな数字の羅列が見えたようだった。

その時は何の疑問も湧かなかった。拾ってきた紙切れで薪に火をつけたのだろうくらいに思っていた。

助けられた数日後の深夜、老人は、小屋の入り口で鉱石ラジオのような物を手にして立っていたことがある。

その時、右手の親指と人差し指が頻繁に付いたり離れたりしていたが、あれは電鍵のキー代わりでモールス信号を送受信していたのではないだろうか。

朦朧としていた時でもあったので、夢だったのかも知れないが疑い出すと不思議な行動である。

しかし、こうして考えて見ると、あの老人は、何処かの国のスパイだったのだろうか。

それとも、中国共栄党が送り込んだ人民の行動を監視して情報を本部に知らせていたのだろうか。

それで無ければ、魚や流れ着いた木切れを売ったくらいの金では生活出来なかったのではないだろうかと疑問が湧いてくる。

折角生かされたこの身体。なんの罪も犯していないのに、いきなり死刑を宣告するなんて酷過ぎでは無いか。

老人との絡みや、日本で育った岬での生活が走馬灯のように思い出され、その一つ一つが涙で消されていくようだった。

ここにつれてこられて一週間ほど過ぎた頃だった。厳しい取り調べも無く、一応不味いが一日三食の食事を与えられ平穏な日常を送っていた。

それでも三日目の取調室で『死刑ですね』と言われたような言葉が思い出され不安がつのっていった。

特に冷え込んだ夜。午前0時頃だろうか、小さい鉄格子の窓から見えていた月も頭上まで上がったのか見えなくなっていた。

『コツ、コツ、コツ』

冷たい靴音が廊下を響き、田川の部屋の前で止まり、鉄扉に鍵を差し込んでいるようだ。

『はっ、この国では、密入国者に対して、そんなに早く死刑宣告して執行するんだろうか』

体中が汗ばんで、震えが止まらない。入り口の鉄扉を睨みつけていると取調官だった見覚えのある顔が無言で入って来た。

『やっぱり、いよいよなんだ』

田川の目には涙が出なかった。既に枯れてしまったのか、自然に両手を出して手錠を掛けられる準備をしている自分は、最後だけでもジタバタ喚きたくないと思っていたようだ。

暗い廊下を、取調官の後ろに付き、自分の最後の人生にささやかだったが楽しい生活をさせてくれた老人に感謝しながら一歩ずつかみ締めて歩いた。

先日からの取調室を通り過ぎ、大きい部屋に連れて行かれた。

そこには、今までの兵隊とは違った人民服を着た恰幅の良い男が椅子に座っていた。

田川を連れて来た取調官は、会釈して出て行った。

こんな部屋で死刑宣告するのか、それとも遺言でも書かせられるのかと入り口に立ったまま人民服の男を見つめていた。

男は、椅子から立ち上がりニッコリ笑って田川の所に近付き右手を差し出してきている。

最初は、握手を求めて来ているとは気付かなかったが、何時までも右手を出したままニコニコ笑いかけているので、慌てて手を握り返した。

人民服の男は、日本製の『ハイライト』と書かれたタバコを差し出して勧めてきた。

それを手にして封を切っていると、部屋の隅に行ってジャスミン茶を入れ、それに中国の菓子だったのだろう、見た事も無い黒砂糖の餡が空洞になった中に入っていて、外が硬く胡麻をまぶした饅頭の形をしたものだった。

このタバコと菓子、それにあまり旨くないジャスミン茶が、死刑の前の最後の食事なんだろう。

そう思いながら、茶碗に残った茶を、名残惜しく音を立てて啜った。

人民服の男は終始笑顔で、所々日本語を交えて慌ただしく喋っていた。

最初は、聞く気も無かったし、今までの取調べでも、何を言っても通じなかったし、この男にしても同じことだとしか思えなかった。

部屋を見回すと、今までの取調室と違い、家具も重厚で壁には油絵さえ掛けられている。

後で考えたが、この男は、この刑務所の所長だったのかもしれない。

男が喋っているのに興味を示さない田川に、ズカズカと近付いて来た。

『ああ、これが死刑直前の者に対する最後の宣告なんだろう』

田川は、男に両手で肩を掴まれた時に、そう観念し身体を硬くして目を瞑って次の行動を待った。

男は、田川の肩を揺すって、懸命に何かを伝えようとしている様子に思える。

振り返り目を開けて男を見ると涙を流している。

『なにか変だ』

そう思い直して、男が喋る日本語と英語を交えた中国語の意味が判るような気になって来て聞いてみた。

「友達」「フレンド」「国交が無い」「トラックと船」「ヒッチハイク」「頑張れ」と言った言葉が聞こえる。

男は、唾を飛ばしながら懸命に伝えてきている。そこそこの日本語の単語は知っているが、それをつないで話として出来ないようだ。

全てが判らないままだったが、コックリ頷くと、男はニッコリ笑って机に戻り、引き出しから見覚えのある日本の千円札や一万円札を数枚取り出して田川の手に握らせた。

その後、部屋の奥にあるロッカーから老人が洗濯してくれていた田川の洋服を取り出して来た。何時の間に持って来てくれていたのだろう。

懐かしい着慣れた船上作業服だ。取り上げるようにして、その場で素っ裸になり、それを着た。

机の上においていたお金を男は田川のズボンのポケットに捻じ込んでくれた。

まだ全てをのみ込んだ訳ではなかったが、どうやら逃がしてくれる雰囲気だった。

服を着始めた田川を見て、机の引き出しから、数枚の書類を取り出してきて田川に手渡した。

見ると、先日、取調べの後、内容が判らないまま署名して指紋を押した、ココに来てからの取調べの内容を記入した物だった。

男は、それを『破れ』とジェスチャーを交えて言っている。

言われるまま、小さく破いて男に渡した。男は、それを机の上の灰皿で燃やしてしまった。

あっけに取られて、そこに立ちすくんで見ていると、男は再び握手を求めてきて力強く握ってきた。

服を着終えるのを待っていたように、男は部屋の外に声を掛けて、同じような人民服を着た男を部屋に入れた。

その男に手を引かれて部屋の外に連れ出されようとしていると、先程お金を持たせた男が田川の背後から抱き付いてきた。

振り向くと、男は、田川の身体を引き寄せて抱きつき、髭が伸びチカチカさせた頬を左右に擦り付けてくる。

『あ、これは親愛の挨拶だ』そう思って、田川も顔を突き出して頬を付けにいった。

「ともだち、元気でね。福さん元気だ。大変宜しくね」

そう言って田川の背中を押すようにして外に出した。

最後に言っていた『福さん元気だ、大変宜しく』って何だろう。

あの老人の事だろうか。逃がしてくれたのは、あの老人の指示だったのだろうか。

いま考えると、あの最後になった老人との夜の絡みは、別れる日が来たのを知っていたようにも思えてくる。

だったら、どうして教えてくれなかったのだろう。まして密入国者として通告したのも老人だったのか。

他に帰国させる方法が無かったのだろうか。国交も無く、国内の世情も不安定で、変革しようとしている時でもあるので仕方無いことだったのだろう。

疑い出すとキリが無いが、取り敢えず釈放してくれるようだ。

ドアーが閉って、後から呼ばれて入って来た男に無言のまま手を引かれて建物の裏側から道路に出た。

「時間、無いよ。」

男は、田川の手を引っ張り、小走りでエンジンを掛けて止めてあった幌付きのトラックに近付き、荷台に乗るように指図してくる。

木箱や藁で包んだ荷物の間に足を伸ばせるだけのスペースを空け、座らさせられた。

色々の運搬に使われているらしく、動物の腐った肉の臭いなどもしていた。そんな中で一週間ほど掛けて何処かの港に付いた。

トラックの中では、一日二食で、握り飯と白菜に似た名前も知らない野菜の漬物と、一升瓶に似た汚れたビンに入ったお茶だけだった。

港に着いたら、アイマスクを掛けられ、船底に案内された。低い天井で頭がつかえて立てない天井だ。

中は、人糞の臭いや、酔って嘔吐したのが乾いたのだろか、汚い部屋だった。密出国者の運搬に利用しているのかもしれない。

ここからの半月余りが大変だった。何箇所もの港に接岸する度に、機関室の油臭い所、貨物室などを転々と移される。

最初の二、三日は、差し入れられた食事は喉に入らなかった。生温い水だけを飲んで過ごした。

四日目には、船底の重油と嘔吐物の臭いが充満した暗い場所にも少し慣れてきた。

食事を運んできてくれる東南アジア系の浅黒い若い青年が心配してくれ、船底の空気を換えてくれた。

愛嬌の良い顔で、睫毛の長い可愛い顔だった。食器を片付けに来る度に、田川が食事に手を付けていないのを見て悲しい顔をして見つめてくる。

その内、思い直し、頑張って口に食べ物を押し込むように入れた。浅黒い男は、それを見て、声を上げて喜んでくれた。

五日目の朝だったか、飯の食器を下げに来て、直ぐに出て行こうとしない。船底の出入り口の前で立ち止まって背中を見せている。

田川は青年に近付いて行って、後ろからソット抱き締めてみた。そうした余裕を与えてくれた男への感謝の気持ちでもあった。

青年は、一瞬身体をビクッとさせたが、直ぐに振り向いて抱きついてきた。

言葉を交わさないまま唇を付けに行くと、青年は躊躇したようだったが直ぐに、田川の身体を力強く抱き締めなおし唇を付けてきた。

抱き合ったまま青年の股間に手を持っていくと、そこには、はち切れそうにズボンを押し上げたモッコリがあった。

すぐに、青年の足元に座り込み、ジッパーを降ろして勃起したチンポを引っ張り出し、半分皮を被った亀頭の先を舐め、皮を根元の方に剥いていく。

若い男独特のチンポの臭いをさせ湯気が出ていそうな熱い竿を口に咥えてやると、青年は直ぐに腰を前後させ、あっと言う間に田川の口の中に濃い男汁を噴出してしまった。

見上げると、すまなさそうな顔をして見下ろしているが、次の行動を待っている様でもある。

田川は、自分のズボンを脱ぎ捨て、青年を引き倒し、久し振りにギンギンになった竿を口に押し込んだ。

青年は、涙を流して、えづいていたが、段々と調子を上げて優しく尺八してくれた。

青年の頭を押さえつけ、一気に口の中に射精したが、彼は、それを苦も無く飲み込んで立ち上がり、ニッコリ笑って出て行った。

その日の夜、青年は、田川が居る船底に来て抱き合って数時間居てくれた。

青年とは、互いに三度も射精し合い、満足そうな顔をして出て行った。

翌日からは、朝食後に互いに尺八してやるのが当たり前の挨拶のようになっていた。

夜も、交代の見張りの仕事が無い時に田川の所に来て愛し合った。

しかし、そうした燃えるような絡み合いも長くは続かなかった。

十日ほどした午後、田川は、酷い熱と嘔吐それに下痢で立ち上がることも出来ない状態になった。

悲しそうな顔で青年が食事を運んで来てくれていたが、全く食事を受け付けない。

体力も落ち、フラフラした状態で幻覚も見ていた。

部屋の隅で誰かがヒソヒソと話をしたり、中国での老人や人民服を着ていた男達が田川の顔を指差して大声で笑ったりしては消えていった。

何箇所もの港に接岸していたが、降ろしてくれない。場所によっては、二日間も同じ港に停泊したままで、貨物の到着を待って積み込んでいるようだ。

行き先は日本だろうと期待していたが、こんなにまで日数が掛かると、どこか知らない国にでも送られているのでは無いかと不安になってくる。

食事や飲料水も、相変わらず不味い物であったが、少しは快復して来ていた体力も、湿気と高い温度で痩せていき限界に近付いていた。

船乗りだった自分が船酔いしている。

此の船に乗せられて、日本に帰れるとの安堵感もあり、当初は、こっそりせんずり掻いたり、青年と絡んだりしていたが、それも出来なくなっていた。

港に立ち寄る度に隠れる場所を変るのが億劫に感じてくる。隙を見て海に飛び込んで逃げようかとも思ったが、既に気力も体力も無くなっていた。

朦朧とした数日が過ぎ、港を出て何日経ったのかも忘れてしまっていた。

そんな時、この船が何度目だったか、港に接岸する合図の汽笛を鳴らしていたが、港から「蛍の光」の音楽が微かだが聞こえて来たように思えた。

「あ、日本の港だ。」

ふら付く足で立ち上がり、音楽の音が少しでも大きく聞こえる場所を探したが、これも幻覚だったようだ、その後は確認できなかった。

あれは、日本で客船が岸を離れて出港する時に良く聞いていた懐かしい音楽だったが外国でもやっているのだろうか。

接岸して数時間経った頃、船底の荷物室のドアーが空いて、食事を運んできてくれていた青年が入って来た。

「もう飯は食いたくない。水だけくれ。」

目を瞑ったまま、青年の身体を押し退け、それだけ喋るのがやっとのことだった。

青年は、田川の傍に来て腕を肩に持ち上げ立たせようとしてくる。

「もう駄目だ、ほっといてくれ、歩けない。ここで死んでも良いから海に捨ててくれ。」

青年は「あっはっはっ。」と笑い、アイマスクさせた田川の腕を担ぐようにして船底の荷物室を出て一旦甲板に連れ出した。

田川には、既に気力も体力も残されていない。これから又別の荷物室か機関室に移されるのだろうか。

『早く楽になりたい。』切実にそう願った。

懐かしい潮風の臭いとカモメが鳴いている声が聞こえ、心地よかったが、それはもはや田川には関係の無い別世界のことのように思われた。

大きい貿易港だろうか、船の出入りが多いようだ。軽快なエンジン音が、あちこちで聞こえている。

田川は、身体も高熱があって、引き摺られながら歩いていたが、どこか広い空間を浮遊しているように感じる。これが死への旅立ちにも思えてくる。

(つづく)

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